韓国の従軍慰安婦被害者に捧ぐ
世界中の同世代の多くの女性と同様、富山妙子がフェミニズムに出会ったとき、それはこれまでうまく言い表せなかったもやもやとした気持ちに初めて言葉が与えられた瞬間だった。それは同時に彼女にとって、初めて自分自身の生き方が腑に落ちた瞬間でもあった。ゆえにフェミニズムは彼女の作品に大きな影響を与えることになる。1980年代後半、富山は再び油絵制作に立ち戻ることになったが、フェミニズムの影響と彼女自身が見なすような多彩な色を使うようになった。
フェミニズムは、富山がそれまで発展させてきた「アジアの視覚言語」としてのアートにも新たな方向性をあたえた。彼女は既に『中央アジアの天と地』などで古代のさまざまな象徴を使うようになっていたが、1980年代にはさらにヨーロッパやアジアの古代神話や宗教シンボルを重点的に取り扱うようになった。それは、これら女性を多く用いた神話的、宗教的シンボルが古代における非家父長的社会の痕跡であると論ずるフェミニストの議論に触発されてのことだった。こうした新たな展開は彼女の作品をさらに発展させる契機となった。
この新しい「視覚言語」の中心的主題は、人間世界と霊魂の世界の接触というメタファーだった。このメタファーを通じて、彼女は自分自身の本来の主題であった人間社会における権力関係のあり方への考察を深めた。こうした作品で最も重要な役割を担っているのは「巫女」である。巫女はアジア民間伝承では女性として描かれることの多く、善でも悪でもない権力性を発揮するものとして知られている。このような巫女像は黒澤明監督『羅生門』(1950年)にも登場する。巫女の象徴が富山の作品に初めて現れたのは「海の記憶」シリーズ(1986年)だった。この巫女を中心的に据えたコラージュ(『巫女の祈り』)は、油絵とコラージュからなる「海の記憶」シリーズの先駆けとなった。背景には初期のハングル文字が見られる。
このシリーズの大きな油絵と幾つかのコラージュのなかで、富山はフェミニズムとアジア民間伝承のさまざまなシンボルを結合させ、帝国主義と戦争の残忍性、さらには戦後日本社会の偽善性を描き出した。このシリーズは、一人の若い朝鮮人女性が巫女の助けを借りて、日本軍に連れ去られ慰安婦にさせられた妹を探し求める、だがその妹の遺骨は今では海の底に沈んでいる、という一連の物語として描かれている。
富山は日本軍の従軍慰安婦にさせられた朝鮮人女性にとくに注目した。多くの日本人が慰安婦の存在を知っていたにもかかわらず、ごく少数の人びとしかこの悲劇について語ってこなかった。それは、戦争の記憶、植民地主義がもたらした抑圧、そして国家主導のもとで行われた大規模なスケールの性暴力などといった微妙で議論を呼びやすい性格の問題が複雑に絡まり合っていたためだ。従軍慰安婦にさせられた多くの女性たちは戦時中に命を落としていたし、また生きのびた女性たちも日本でも母国でも恥ずべき存在として貶められ、沈黙を守らざるをえなかった。元従軍慰安婦として初めて公に名乗り出た金学順ですら、富山がこのシリーズを完成してから5年後の1991年になるまで証言しようとしなかった。
『ガルンガンの祭りの夜』という赤く染まったキャンバスは、インドネシアのバリ島で行われるヒンドゥー教の宗教的祝祭を描いている。この祝日は善の悪に対する勝利を祝う日とされているが、祖先の霊魂が現世に戻ってくる日とも知られており、一年のうちで最も祖先の霊がそれぞれの家庭に帰って来やすい時期だと見なされている。富山はこの祝祭の光景を恐怖と祝典とが不安定な均衡を保った瞬間として想像しなおした。そのなかでは、裸になった若い女性がいけにえの捧げ物として—礼拝者としてではなく—描かれている。また、『南太平洋の海底で』という絵画においては、海底に沈んだ幽霊のような軍艦と散り散りに散乱する勲章が、それを見るものに戦争における侵略と犠牲の双方を思い起こさせる。とはいえ、その全体的なイメージは見た目には平和的でユーモアすら感じさせるものになっている。
これらの絵に見られるような神話的な表象をとることで、富山はそれまでよりもより直接的に犠牲者の苦しみを視覚的に訴える表現ができるようになった。こうした「海の記憶」シリーズの絵画は、戦後に残されたさまざまな問題に焦点を当てている。それらは複雑で未だ解決しておらず、痛ましくもあり恥ずべきでもあり、そしてなにより未だに人びとを躊躇させるような問題である。「海の記憶」シリーズは、かつて富山がリトグラフで描いた「朝鮮人鉱夫」シリーズと同様、それを見るものの注意を打ち捨てられた死体や残された遺族に向けさせている。富山の目的は、鑑賞する者に怒りを感じさせることではなく、むしろ共感を感じさせることであった。「海の記憶」が主たる対象とした鑑賞者は日本人だったが、このシリーズの展示会はヨーロッパ、北米、そして韓国でも開催された。
この「海の記憶」シリーズも、ほかのシリーズと同様、作曲家の高橋悠治が音楽をつけ、油絵やコラージュのイメージを使ったスライド(DVD)作品としてまとめられた。富山は、このスライド(DVD)作品を一個の独立したアート作品として作り上げている。日本でも最も知られた現代作曲家の一人である高橋は、伝統的な楽器のためとコンピューターのためにそれぞれ音楽を作曲し、この2人の芸術家がともに協力し合いながら、このスライドをパフォーマンスとして上演できるアート作品に仕上げた。富山はこの協力的な合作を中世の法師が仏教の教義を広めるために音楽と絵巻を使ったことと同じようなものだと捉えていた。同時にこの2人の芸術家は、極めて現代的な表現形式をも切り開いている。
富山の次の作品は、アジアの女性の人身売買—当時でも今日でも信じがたいほどの収益を生み出しているビジネス—を主題に取り上げた。スライド作品「帰らぬ少女」(1991)や絵画『日本に行こう!』(1991)は監禁状態また借金返済のために売春を強いられるようになった日本に住むアジアの女性たちの今日なお継続する窮状に焦点を当てている。
1994年に富山は、伝統的な木版画にモデルをとった一連のシルクスクリーン彩色画を制作した。 19世紀後半に東南アジアに送られ娼婦として働いた若い日本人女性を題材にとった。「からゆきさん」として知られていたこうした若い女性たちの健康と幸せは、彼女ら自身の家庭と国家のために犠牲にさせられていた。彼女らの多くは貧困家庭の娘であり、彼女たちの仕送りのお陰で弟たちは学校に行くことができたし、また外貨を獲得する彼女たちのお陰で国家は近代化を推し進めることができた。視覚的な観点からいえば、富山のシルクスクリーン彩色画は、花柳界の女を描くという日本における浮世絵の伝統に、またそれよりもさらに長いであろう女の子どもを娼婦として売り払う昔からの習わしに根差していると見ることができる。
See Rebecca Copeland, “Art Beyond Language: Japanese Women Artists and The Feminist Imagination” and Laura Hein “Post-Colonial Conscience: Making Moral Sense of Japan’s Modern World,” in Laura Hein and Rebecca Jennison, eds., Imagination Without Borders: Feminist Artist Tomiyama Taeko and Social Responsibility, Ann Arbor: Center for Japanese Studies, The University of Michigan, 2010.
The Digital version is fully and freely accessible on the University of Michigan Press website.