2007~09年に富山が制作したシリーズは、ハルビン・シリーズ以来、最も大規模で、最も意欲的なものだ。富山は長年にわたって複数の国にまたがる歴史、戦争、そして日本とアジアの関係に関心を注いできたが、このシリーズにも同様の関心が見てとれる。絵画とコラージュで彼女が表現するのは、さまざまなアジアの仮面、人形、木偶たちの旅路である。旅は中央アジアに始まり、いくつもの河を経由して、中国大陸から海を渡り、淡路島に至る。淡路島は富山の両親の故郷であり、自由民権の歴史と人形浄瑠璃の伝統で知られる。旅はさらに続き、遠く東南アジアとニューギニアへと海路を行く。日本は長い旅路の途上にあり、けっして文化の源流でもなく、旅路の果てにたどり着く終着点でもない。
旅人のなかにはマレーシアやインドネシアの人形、ポリネシアの仮面や、そして日本民話に登場するお多福もいる。富山はこれら人形たちをトゥルバドール(旅芸人)と呼び、中世の旅する芸能家への想像を誘う。トゥルバドールは文化、宗教を伝達し、国境に縛られずにさまざまな思想を混淆しながら各地に広めた。
青緑が印象的な絵画作品が思わせるのは、海底世界の光景である。人間社会からうち捨てられた人形と民俗的神々が海底で見せてくれる文化とエコロジーは、地上社会の者たちが物理的、精神的破壊を引き起こしていると気づかぬままに富へと邁進するなかで忘れてしまったものだ。
ここで最大の問題は帝国主義であり、産業化である。富山は自身の人生で失ったものを示しながら、20世紀全体を見渡して、日本と西洋諸国の罪業を問うている。富山の物語は「原罪」から始まる。日本をつくった神々は、人ならぬ体で生まれた最初の子を拒否して、海へと投げ捨てた。骨なしのその子は「蛭子」と呼ばれ、のちに漁師たちの守護神「ゑびす」となる。富山の物語のなかのゑびすは、中国の媽祖とも結びつけられている。媽祖は、海路を行く旅人を見守る民俗的女神である。
帝国主義支配の時代、アジアの人々がゑびすや媽祖に祈願したのは、精神的支援ではなく、物質的繁栄であった。富山の物語に登場する人形たちのなかには戦死者もいるが、大衆の娯楽が映画やアニメに向かうなかで、つまらないとして海の墓場に葬られた者もいる。それでもまだ希望がないわけはでないと、富山作品は語っている。人形たちは、もし人間が望むなら、神秘的なしかたで創造力と文化を必ず活性化してくれるだろう。
シリーズ最後の絵画作品は、2001年9月11日その日の世界貿易センター、ツウィン・タワーを思わせるもので、終末の近いことを警告している。その作品で富山は、かつてのテーマ、つまりアジアにおけるアメリカ軍事政策への日韓両国の追随というテーマに立ち返ってもいる。富山の画布にある原油採掘場にあがる炎は、平和を壊し、再び戦争の口実になっていく。富山は現在を巨大な迷妄が支配する時代だと見ている。打ち捨てられたコンピューター・キーボードの墓場で骸骨の鳥たちが餌を漁っている。奇妙な愉快さのあるその光景が、富山の重いメッセージに、ちょっとした軽妙さを加えている。
詳細は、Laura Hein and Rebecca Jennison 編集の著作を参照のこと。 Imagination Without Borders: Feminist Artist Tomiyama Taeko and Social Responsibility, Ann Arbor: Center for Japanese Studies, The University of Michigan, 2010. そのなかで、上記で言及の内容については次を参照のこと。“Talking Across the World: A Discussion Between Tomiyama Taeko and Eleanor Rubin,” と、Rebecca Jennisonによる導入。また次も参照のこと。 Hagiwara Hiroko, “Working On and Off the Margins.”
The Digital version is fully and freely accessible on the University of Michigan Press website.