1921
神戸市に生まれる。少女時代は旧満州、大連とハルビンで過ごす
1938-1945
女子美術専門学校(現・女子美術大学)に通う。太平洋戦争のため中退
1950
筑豊炭鉱で社会的な視点から多くの油彩絵やリトグラフを制作(自由美術協会会員)
1954
銀座・資生堂画廊をはじめ各地で個展を開催
1960年代
アフリカ、南米、中東と中央アジアを旅する
1970年代
朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権時代に政治犯として投獄された韓国人詩人金芝河(キム・ジハ)の詩に基づくリトグラフを制作。1975年に 「しばられた手の祈り」を完成
1975
金芝河、チリの詩人パブロ・ネルーダの詩によるリトグラフを完成し、。ニューヨーク、シカゴ, バークレーにて展示会を開催。金芝河を主要テーマとした「深夜」、「中央アジアの天と地」を完成
1976-77
日本のテレビ局による金芝河をテーマとした富山のテレビ番組放送中止、富山はおもに音楽家高橋悠治と金芝河の作品をテーマとして絵と詩と音楽によるスライド作品を共同制作するために火種工房を立ち上げる。富山と高橋による火種工房の活動は現在も続く。映画、「しばられた手の祈り」は富山のリトグラフから構成
1980
韓国、光州(カンジュ)事件後、「倒れたものへの祈祷 1980年5月光州」札幌、関西にて展覧会を開催
1982-83
パリ、ベルリン、ハイデルベルグ、ミュンヘンで展覧会開催
1984
「引き裂かれた者たち」と題したリトグラフとコラージュを完成。このシリーズでは、朝鮮人強制連行の死者に捧ぐ、戦時の日本留学中に逮捕され、28歳の若さで獄死した朝鮮人ユン・ドンジュ(尹東柱)の詩による映画「はじけ鳳仙花」が土本典昭監督により制作される。パリ、ベルリンで映画上映(1986年にメルボルン映画祭招待作品)
1986
戦時「慰安婦」をテーマにした「海の記憶」を完成。「海鳴り花寄せ」として脚色され、佐藤信が演出、黒テント劇団が築地本願寺境内で上演
1988
マルチメディア・スライド作品 「海の記憶」を制作。ロンドン、ベルリンにて展覧会を開催。スライド「きつね物語」制作(~2001年)
1989-1992
バンコク、東京で「帰らぬ少女」を展示。スライド作品「Let’s Go to Japan」となる
1995
多摩美術大学附属美術館(現、多摩美術大学美術館)とソウル東亜ギャラリーにて「戦争50年記念 富山妙子・20世紀へのレクイエム」展を開催。スライド作品「ハルビン:20世紀へのレクイエム」を完成。第一回光州ビエナーレ「目撃者としての芸術」展に招待展示
1998
ホン・ソンダム(洪成潭)との二人展 From the Asians」 が光州、富川(プチョン)、川崎を巡回する。光州市望月洞特設ギャラリー(5月)、富川市庁舎ロビー(11月)、川崎市教育会館(12月)
2000
第3回光州ビエンナーレ国際展「芸術と人権」で招待展示、インスタレーション「倒れた者への祈祷」と「きつね物語シリーズ」を出品。
世田谷区生活文化工房(キャロットタワー)「きつねと炭鉱」展(絵・写真・詩・音楽のコラボレーション) 開催
2001
アクロス福岡に「きつねと炭鉱」展巡回。東京、成蹊大学トラスコンガーデン「富山妙子展-Let’s Go To Japan-」開催(松下たゑ子教授)
2002
「巫女ときつね」展、京都精華大学で開催(レベッカ・ジェニスン教授)。スライド作品「きつね物語」を完成
2005-06
ドイツのルール、アメリカのフィラデルフィアのTemple University、エヴァンストンのノースウェスターン大学にて 「Remembrance and Reconciliation」コラージュ」展を開催。
2009
「アジアを抱いて―富山妙子の全仕事展 1950〜2009」を新潟、越後妻有アートトリエンナーレにて開催,あわせて高橋悠治、Ayuo、柴田暦「蛭子と傀儡子—映像とコンサート」で作品上映。 スライド作品『蛭子と傀儡』を完成。『アジアを抱く、画家人生 記憶と夢』(岩波書店)、『蛭子と傀儡子 旅芸人の物語』(現代企画室)刊行。
2009
アフガニスタンをテーマにした作品 を開始
http://www.ne.jp/asahi/tomiyama/hidane-kobo/contents/jidai/jidai.html
2013
「富山妙子 現代への黙示-9.11と3.11-」~東京アートミュージアムにて
展覧会開催。
2015
「BANNED IMAGES」展に招待展示、nGbK, ベルリン。