このウェブサイトは、視覚芸術の領域で活動する日本のアーティスト、富山妙子の作品を紹介するものである。加えて、丸木俊、丸木位里、そしてエレノア・ルービンの絵画作品と版画も併せて紹介している。これら4人は自身を政治的アーティストと自認しており、その作品を社会不正への抵抗、社会不正に由来する苦しみへの抵抗と見ている。4人はいずれも第2次世界大戦から深甚なる影響を受けており、戦争は誰にとっても災厄であるという考えを共有していることが、作品から読みとれる。
このウェブサイトはもともと、2010年に刊行の本、Imagination Without Borders: Feminist Artist Tomiyama Taeko and Social Responsibility (University of Michigan East Asia Press、ローラ・ハイン、レベッカ・ジェニソン編集) の補遺として創設された。同書にある私のイントロダクションは、このプロジェクトの出発点を示そうというものだが、本ウェブサイトの各頁は、同書にある特定の章へのイントロダクションにもなっている。本とウェブサイトは別もので、比較すべきではないが、本ではより多くの分析が展開されており、情報も仔細に及ぶ。他方で、ウェブサイトではより多くの図版を掲載でき、富山の活き活きした色遣いを伝えることができる。最も高価なたぐいのアート書にも劣らないほどの再現力である。富山は、その作品を、より多くの観客に届けるための努力も惜しまない。たとえば画期的な手法によるスライド化、DVD化であり、それはウェブサイトの創設という本プロジェクトの精神とも響きあっている。
このウェブサイトを創設した2010年以降も、富山、ルービンのいずれも新作の制作にとりくんでいる。2人はそれぞれに、2011年3月11日に日本の東北地方で起きた3重の災禍、地震、津波、原発の炉心溶融という事態を受けて、作品制作に臨んでいる。本ウェブサイトのほとんどの部分は、2010年のままだが、2人の新作を加え、さらには日本語読者にも読んでもらえるようにした。
アジア太平洋戦争の意味に向き合う
2010年現在、日本人はまだ第2次世界大戦の後始末に格闘している。あの戦争は、日本では太平洋戦争と呼ばれる。日本政府の一貫しない不明瞭な対応のせいもあって、今日の日本人は、かつて植民地支配時代と戦時期に日本がした他国への暴力的行動の責任を認めようとしないでいる。
しかしなかには、こうした日本の行為について、繊細で省察に満ちた見解を展開している者もいる。1921年生まれの富山妙子は、そうした者たちのひとりである。彼女のアートが扱っているのは複雑な精神的、感情的諸問題であって、そのおかげで作品は美しさだけでない魅力を湛え、到底単純なスローガンにまとめられるようなものではない。富山がこの25年間でとりくんできたテーマは、日本の植民地帝国であり、日本がアジアで起こした破壊的戦争であり、それらの戦争が遺した感情的、社会的な負の遺産である。また富山は長く政治的反骨を貫いたとはいえ、彼女のアートは、国家の優先性(国家の枠を考えてしまうこと)から自身を解放することの難しさをテーマとしている。その過程こそが、富山を生涯にわたる政治的反骨の人にした。富山が表現する洗練された視覚的コメントは、日本の歴史についてであり、アジアを含む世界の歴史についてである。富山の表現は、近代の歴史的記憶という困難な領野において、日本人から発せられた強力な指針である。富山は問う。なぜ自分の世代の日本人は、強制労働や組織的性暴力、また民族を理由とする差別的処遇といった国家的政策を受けいれてしまったのか。富山がとりわけ関心を注ぐのが、人々は犠牲者になると同時に加害者にもなるという、その複雑な過程である。どうかすると同じ1つの行為で、被害者にも加害者にもなることがある。彼女自身が向き合おうとしているのは、被害者としての記憶ではなく、自分が特権ある加害者として他者に対して行なってしまったために、いまは後悔していることの記憶である。
かつては疑うことなく受け入れていた行動や態度を拒否するようになるには、知的、感情的な旅が必要である。富山の場合、その変化はアーティストとしての成長と、アートの表現戦略と密接に関係していた。何を表現したいかが明確になればなるほど、制作するイメージは強くなった。それこそが、富山の最も力強い作品が65歳以後のものである主たる理由である。
国境を越えるコミュニティー
富山には同志ともいうべき仲間のコミュニティがある。まずは日本で、後年には世界で国際的なコミュニティとともに、彼女は歩んできた。2人の日本人画家、丸木位里、丸木俊は、被爆後のヒロシマを描いた大きな壁画で知られるが、富山とは1950年代初めからの友人であり、画家仲間である。本ウェブサイトには、丸木位里、丸木俊の4作品が掲載されていて、富山が関与するコミュニティの一例を示している。
富山は海外のアーティスト、特にさまざまな表現メディアの創造的なアーティストから影響を受けてきた。富山が魅了された人々として、政治参加で知られる詩人たちがいる。たとえば、ロマン・ロラン、パブロ・ネルーダ、ミュリエル・ルカイザー、金芝河といった詩人からはとりわけ強い影響を受けた。これらフランス、チリ、アメリカ、韓国の詩人たちは、自身の芸術を通して社会的な抵抗を表現している点で富山と共通している。
富山は広く世界を旅してもいる。まずは1960年代初頭の1年に及ぶラテン・アメリカ旅行、その後は中央アジア、東南アジア、台湾、アメリカ合州国、そして西ヨーロッパ諸国、ソ連邦を含む東ヨーロッパ諸国を訪問している。1990年代初め、中国の満州(東北地方)を訪問した。かつてそこが日本軍の管理下で名目だけの独立国であった時代に、富山は10代の日々を過ごした。こうした旅から、新しい視覚イメージと知的思考が生まれて、富山の作品を豊かなものにした。世界各地の労働組合運動、平和運動、社会的正義を求める運動との国境を越えた連帯が、終始、富山の突き抜けるような想像力の源である。つまり、ナショナリズムへの封じこめを逃れることこそ、彼女の創造性開花のカギである。
富山はまた国際情勢の動きに敏感である。たとえば戦時行動の責任に関する表現について彼女が考え始めたのは、1943年のワルシャワ、ユダヤ人ゲットー蜂起の記念碑の前で、西ドイツの首相ヴィリー・ブラントが膝まずいて謝罪したという1970年12月7日の出来事について読んだからであった。ブラントがした行為を、彼女なりの解釈で、その困難さも示しながら、作品中に取りいれる方法を見出すまでには16年が必要だった。彼女の視覚的図像が、富山自身のしたような省察をする契機を見る者にもたらしてくれればというのが富山の心底からの望みである。
本ウェブサイトには、アメリカの版画、水彩の作家、エレノア・ルービンの作品も掲載されている。ルービンが表現するのは、自国の政府が非道で不正義の戦争を遂行していることに由来する不快といったテーマであり、富山のテーマと近いものがある。ルービンも富山も、成人してからフェミニズムに出会うという経験をしている。彼女たちにとってフェミニズムとは、自分を肯定的に受け入れるという、彼女たち個人としての新視点であり、世界に対する見方を変えるものだった。2人の作品に不吉な鳥のイメージがくりかえし登場するのも共通している。
本ウェブサイトは、並行して刊行された本と同様、ここに示すアートが生まれ出た時代の歴史的文脈と、アーティスト個人の評伝的文脈を伝えるものである。しかし創造的な試みで成功したものは必ず、さまざまな方向へと発展する可能性に開かれている。本ウェブサイトも、見る者は自身が見たいと望むイメージを見るように誘われる。本ウェブサイトを構築してくださったのは、ノースウェスタン大学のディジタル・メディア・サーヴィス/アカデミック・デクノロジー担当のサラ・マクヴィカーとメアリー・クレア・スチュアートである。2016年にこれまでのウェブサイトを拡大、改良してくださったのは、ジョシュ・ホンである。
2016年12月
ノースウェスタン大学
日本史教授