1900年
丸木位里広島県に生まれる
1912年
赤松俊子北海道に生まれる
1922年
水墨画を学ぶために位里が上京
1929年
俊が女子美術専門学校に入学するため上京
1935-1936年
位里が東京で展示会を開催
1937年
俊が家庭教師としてモスクワに一年間滞在
1938-1944年
位里が数多くの展示会を開催
1939年
俊が日本の統治下にあったミクロネシアに半年間滞在。この時期、多くのスケッチを描き、作品を展示する。
1941年
俊が再びモスクワに半年間滞在し、作品を展示する。位里と結婚。シュリアリスムを志向する美術家を結集したグループ「美術文化協会」で活躍し、作品を出品する。美術文化協会は戦争強く反対していたため戦中は抑えられる
1945年
8月6日に広島の原子爆弾投下後、位里の実家を心配して広島へ向かう
1946年
位里が左翼的な美術団体を結成。夫婦で日本共産党に入党。位里がアンデパンダン展に出品。俊も様々美術展に出品。
1948年
夫婦で原爆をテーマにした壁画を描き始める
1950年
初となる共同作「8月6日」を発表。「水」と「火」を完成
1953年
国際平和賞ゴールド・メダル受賞
1956年
原爆の図世界巡回展のためヨーロッパに滞在
1950年代—1970年代
二人は単独作品を出展し続ける。俊が子供絵本を出版
1964年
共産党から除名される
1967年
位里がサンパウロ・ビエンナーレに出品。原爆の図丸木美術館が埼玉で開館。原爆壁画に関する映画が製作される
1970年
アメリカで作品を出展
1971年
ゴールデン・アップル賞受賞。チェコスロヴァキアを旅行
1973年
南京大虐殺について詳しく調べ始め、中国を訪問
1974年
角川出版が原爆の壁画について本を出版
1977年
アウシュヴィッツを描いた壁画を製作
1978年
夫婦でインドを一ヶ月間滞在。フランスを訪問
1979年
「三同盟から三里塚まで」を製作。ブルガリアを訪問
1981年
俊が「ひろしまのピカ」を出版し、読売出版賞を受賞。夫婦で水俣壁画を製作
1983年
丸木美術館増改築完成
1984年
「沖縄戦の図」を東京都美術館へ展示する。富山妙子の朝鮮人鉱夫のリトグラフの隣に置かれている
1987年
俊が自伝「言いたいことがありすぎて」(ちくま書店)を出版
1995年
朝日賞受賞。位里が死去
2000年
俊が死去
Image of Maruki Toshi and Iri by Unknown