海からの黙示

富山は2008年に完成した「蛭子と傀儡子旅芸人の物語」が最後のシリーズとなると考えていた。しかし2011年3月11日に東日本大震災が起こり、もう一度絵筆を握ることになった。この地震とその後の大津波による犠牲者・行方不明者は1万8千人を超え、多くの村や家が押し流されてしまった。この災害の恐怖は人災とあいまって増大化した――津波が東京電力福島第一原子力発電所の三つの稼働中原子炉をその他の三つの定期点検中の原子炉もろともに襲い、三つの原子炉で電源喪失、制御不能による炉心溶融が起きたのである。

それまで日本は近代的で効率的な社会として世界から高く評価されていた。2011年までの20年間続いた国内の経済不況がその評判を国内外で傷つけはしていたが、それでも日本政府と東京電力がこの三重災害に対してこれほど無責任、無能だとは、ほとんどの人は予想だにしていなかった。

このような津波を想定していなかった政府と東京電力は対策にしくじり、その問題を隠そうとしたことがすぐに判明した。そしてその後も政府は、東北住民の健康や福祉よりも、東京電力の組織をかばい、放射能の人体への影響を無視しているかにみえる。災害から5年も経った今、未だに危険は除去されていない。福島第一原発の1〜3号機原子炉は事故で溶けた核燃料を冷やすため毎日冷却水の注入が必要である。だがその結果、新たな汚染水が大量に発生している。汚染水を地面に格納する方式では明らかに不十分で、すでに日々増えている高密度の汚染水が太平洋に流れ出している。

富山は2011年3月11日についてこう振り返っている。「東京に住む私はテレビの報道に息を呑みました。マグニチュード9の地震は凄まじいエネルギーです。それは大地を揺さぶり、海は陸へと逆流しました。大津波が太平洋岸600キロの海岸線の生活を廃墟と化したのです。これは近代という時代の終焉でしょう。私はそれをテーマに3年かけて『海からの黙示』を制作しました。」

つまり、富山がこれまで描いてきたテーマは新たな、そして悲劇的な現代との関連性を得ることになった。日本の市民は自らが選んだ政府に裏切られたと強く感じている。 これほどの災難となったのは、日本政府があまりにも自己賛美のレトリックに溺れ、日本の高度な技術と国家社会を褒め称えすぎたからである。それほど巨大な規模ではなくとも初期にあった原子力災害を彼らは軽視してきたが、今にして思えば、もっと関心をはらうべきであった。彼らの自己満足とその結果こそが、富山が92歳となった2014年の作品、『海からの黙示』の中心的テーマとなった。

 

Japan: Nuclear Power Plant | ニッポン:原爆 (2011)
Japan: Nuclear Power Plant | ニッポン:原発 (2011)

 

以前のシリーズのように、富山は作品において自身のイメージやテキストだけでなく、日本の民間伝承、アジアの主要宗教、近代性の世界共通の象徴、そして時事問題といった参照物の厚い蓄積からとりだしたものと関連づけて意味を付与する方法を用いている。4つの大きな油絵からなるシリーズの中心をなすのは、屋根が核燃料爆発で吹き飛んだ福島原発の原子炉を描いた「ニッポン:原発」である。津波発生時、4号機は運転を停止していたが、 1770本の核燃料棒が使用済燃料冷却プールいっぱいに積み込まれていて爆発をおこした。これはアメリカのGE(ゼネラル・エレクトリック)によって開発され、今では問題があるとみなされている設計だが、世界中の原発で一般的に用いられている。

『海の記憶』以来の作品のように、富山は人間と神――いつも新しい神を描き加えたが――の世界の間の交通をメタファーとして用いた。『海からの黙示』での4作品のうち2作品は風神と雷神という超自然存在を、神道神話やトランスナショナルなアジアの各種信仰に結びつけて描いている。最近では、コンピューターゲームが創作にこうした神々をとりこんでおり、風神や雷神は21世紀になって世界的により広く知られるようになった。富山の表現においては、風神がセシウムの混ざった桜の花霞の上から統べ、雷神は嵐の空に稲妻を投げ、太鼓を叩いている。

Fukushima Spring of Caesium-137 | フクシマ:春セシウム137 (2011)
Fukushima Spring of Caesium-137 | フクシマ:春セシウム137 (2011)
Crisis: Prayer for Sea and Sky | クラシス:海と空への祈り (2012)
Crisis: Prayer for Sea and Sky | クラシス:海と空への祈り (2012)

「海からの黙示」は音楽家の高橋悠治との同名の新しいコラボレーションDVD同様、もとは灰色、黒、そして茶色の配色によるコラージュ14点を含む。富山は以前の作品にも表れている環境破壊問題をこのシリーズの中心的なテーマとして取り上げている。魚と蛾の死骸の標本は彼女の標的が単なる原発における表象というよりは今日の人間があらゆる近代技術を駆使するような傲慢さにあることを明らかにする。富山はその思いを美術作品として表現するためにコンピューターのマザーボードや携帯電話を分解し、コラージュや絵に貼り付けた。

To The Dead Butterfly: Fukushima 5, Poem to the Butterfly I 死せる蝶に福島第5 蝶の詩 (2013)
To The Dead Butterfly: Fukushima 5, Poem to the Butterfly I 死せる蝶に福島第5 蝶の詩 (2013)
To The Dead Butterfly: Fukushima 1 | 死せる蝶に (2013)
To The Dead Butterfly: Fukushima 1 | 死せる蝶に (2013)
To The Dead Butterfly: Fukushima 4 | 死せる蝶に: 福島 4 (2013)
To The Dead Butterfly: Fukushima 4 | 死せる蝶に: 福島 4 (2013)

 

だが富山が新たに力強く訴えようとするのは、死の不可避性、そしておそらくは「近代文明の終焉」そのものへの熟考である。彼女はこのトピックをふたつの方法で示した。一つは彼女の仕事を西欧の近代美術の伝統の核心的象徴とつなぐやりかた、そしてもうひとつは、最も哲学的でコスモポリタンなアジアの伝統、仏教にしっかりつなぎとめるやりかたである。

富山は「私は苦境に立つと、このゲーテの詩を思い浮かべます」と述べている。彼女は、「聖なる憧れ」の詩の、 蝶々が炎の中へ飛んで行ってしまう最後の連に注目した。

「聖なる憧れ」ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ (大山定一訳)

どのような遠さも、おまえを隔てはせぬ。
おまえは引きよせられ、呪法の輪のなかに縛られ、
やがて、夜の蛾よ、おまえは灯にとびこんで、
わが身を灼いてしまうのだ。

 

死して生きよ!
これを会得しないかぎり、
おまえは昏い大地の
物憂い客人にすぎぬ。

 

Revelation from the Sea: Tsunami | 海からの黙示: 津波 (2011)
Revelation from the Sea: Tsunami | 海からの黙示: 津波 (2011)

このシリーズ中で最も迫力のある絵は、人間の動きから目を話さず、仏教的に東西南北から守る四天王を描いてている。四天王はヒンズー教や多くのアジアの宗教に現れ、風神と雷神のように風と雨に関連している。富山はこのシリーズを通して死後の世界を尊重する仏教の信念を強調している。以前の作品の神々は人間の代理人として描かれていたが、ここでの仏たちは人間を厳しく批判している。富山はこのシリーズにおいては戦争、植民地支配、資本主義、性差別のみを非難しているのではなく、仏教の中心思想である苦しみを与える全てを批判しているのだ。