1970年代のなかば、富山妙子は韓国における「良心の囚人」を支援するというアムネスティ・インターナショナルの国際的運動に参加しはじめた。この冷戦期において—そして今なおそうであるが—朝鮮半島は世界で最も危険な地域の一つだった。

富山が韓国の民主化運動を支持した最大の理由は、戦後日本と韓国の政治に大きな影響を持ち続けていたアメリカの存在だった。富山はアメリカの両国への支援自体が、両政府の国民に対する責任感を弱めていると見ており、それは民主主義の実現を妨げるだけでなく、さらなる悲惨な戦争の勃発を招きかねない東アジア特有の地政学的構造を作り上げていると考えていた。

 

 

 

 

Prisoner 12649 | 囚人12649 (1972)
Prisoner 12649 | 囚人12649 (1972)
Prisoners and Barbed Wire | 囚人と有刺鉄線 (1973)
Prisoners and Barbed Wire | 囚人と有刺鉄線 (1973)

 

1949年に共産党が中国における支配を確立して以来、アメリカは韓国の民主化運動がアジアにおける共産主義拡張を助長する恐れがあると考え、極めて抑圧的な軍事政権への支持を強めていた。こうしたアメリカの支援を背景に、韓国政府は市民の民主化要求を拒否しつづけ、それどころか多くの民主化運動家を投獄し、拷問し、死刑にすらした。当時の日本政府は、自国民に対してそこまで残虐でなかったものの、それでも韓国の軍事政権を支持しつづけ、また国内世論の圧倒的反対にも関わらずアメリカのベトナム戦争を支持していた。

 

富山は韓国の政治犯を描いたいくつかのリトグラフを制作している。そのなかには韓国で最も著名な現代詩人で政治犯でもあった金芝河が書いた詩集の日本語訳につけた絵も含まれる。これらのリトグラフは狭い檻に閉じ込められた人物像をくっきりした白黒で描き出している。これらの作品の新たな傾向として見られるのは、富山が描いた鳥や蝶、またぐるぐる巻きの有刺鉄線に囲まれた人びとの姿が、人間の脆さと反発力の強さを同時に伝えているということだ。また富山が金芝河の詩集のために描いた幾つもの廃墟や心象風景のリトグラフからは、すでに後年の富山の油絵やコラージュが予見される。こののち富山は、韓国・光州市で1980年に起きた軍隊によるデモ参加者の虐殺を追悼する同様のリトグラフシリーズを制作した。

 

 

Amnesty in Asia | アムネスティ・イン・アジア (1978)
Amnesty in Asia | アムネスティ・イン・アジア (1978)
Prison with Crucifix | 囚人と十字架 (1975)
Prison with Crucifix | 囚人と十字架 (1975)

また、富山は自らの作品がより多くの人びとに届くようさまざまな新しい表現形式を開拓した。当時、日本における公共放送NHKは富山のリトグラフを含む金芝河の人生と詩のドキュメンタリーを制作していたが、番組放送直前に中止になってしまった。NHKはおそらく日本政府の圧力を受けたのだろう。これに対し、富山は韓国民主化運動のリトグラフ 『しばられた手の祈り』(1975)を写真撮影してスライド作品としてまとめ、友人で作曲家の高橋悠治がそれに音楽をつけた。この一個の独立したアート作品は手軽に持ち運べ、かつ損傷を受けたとしても簡単に複製可能であったために、富山はこれらを持って国内外を巡回公演し、各地のさまざまな人権団体と交流を深めた。彼女の初期の国外旅行がそうであったように、これらの海外との交流もまた将来の作品への新しいアイデアに繋がっていった。


See Hagiwara Hiroko, “Working On and Off the Margins” and Ann Sherif, “Art as Activism: Tomiyama Taeko and the Marukis” in Laura Hein and Rebecca Jennison, eds., Imagination Without Borders: Feminist Artist Tomiyama Taeko and Social Responsibility, Ann Arbor: Center for Japanese Studies, The University of Michigan, 2010.

The Digital version is fully and freely accessible on the University of Michigan Press website.